心臓は鉛、両目はサファイア、剣の装飾にルビー、そして全身が金箔で覆われた王子がいた。
王子は町の貧しいものたちに心を痛め、ツバメに頼んで剣の宝石を、両目を、金箔を人々に分け与えていく。
そうして最後には、みすぼらしい王子と、王子の代わりに人々に富を運び、南に渡る機会を逃して命尽きたツバメが残る。その瞬間、王子の心臓も壊れてしまう。
王子は溶鉱炉で溶かされ、溶け残った鉛の心臓はツバメの屍骸と共にゴミに捨てられてしまう。
神様が天使に、「この町で最も尊いものを持ってくるように」と命じると、天使は王子の心臓とツバメの屍骸を持ってきて、王子とツバメは天国で幸福になる。
イギリスの有名な寓話だ。
これは、ボランティアの根底に流れる心ではないのだろうか?
誰かに認められるためでなく、ただ見過ごせずに自分を削り分け与える心。
でも、王子はただの像で貧しいものに金や宝石を分け与えるためにツバメの力が必要だった。
ツバメは、南に渡る機会を逃せば自分がどうなるか知っていた。でも、王子の頼みを見過ごせなかった。
王子もツバメも誰を恨むでなくそうしたいからして力尽きていったのだ。
転じて件の天使たちを見てみよう。
天使たちはインターネットとテレビという媒体を使い沢山のツバメを集めた。
ツバメたちは天使の『我がの宝石だけでは足りない』という言葉を信じ、自らの羽で織物を織り上げた鶴のようにわが身を削った。
なのに、何でか天使はみすぼらしくなるどころか余計ゴージャスになってるし、町の貧民(犬)はいくらかはなんぼかマシになったけど、いつまでもパンの耳かじっている人もいる。
それは当然ツバメは怒りますわな。
南に飛んでいく機会逃した俺が馬鹿みたいじゃないか、とか、俺の抜いた羽返せー、とかそりゃ言いたくなりますわ。
で、ツバメたちの怒りを他所に
「今度オリジナルの宝石(ガラス玉を俺流カット)作ったんだけど、買わない?」
ってか?
もうね、乱反射しまくりでナニがしたいんだかわけワカメです。
や、お金が欲しい~って気持ちだけはビシバシッっと
伝わってくるんですけどね。
前述した通り、現在宮崎県において口蹄疫なる家畜法定伝染病が発生している。
4/24の朝時点で6例目まで出ており、消毒を行うポイントが拡大しつつある。
件の病が発生した畜舎の牛や豚は全て屠殺処分となる。
この伝染病は死亡率は低く、人への感染の可能性もほとんど無いとはいえ、伝播力が高いことと、根治の可能性がないことを鑑みるに、私は、この処置は極めて妥当であると考える。
しかし、この事態に際し、ワンライフ及び元アーク・エンジェルズ(現エンジェルズ)が動いた様子が全く感じられないことには、正直不快な思いを禁じえない。
彼らは、命の大切さを正義の御旗に押し立てて、同じ法定伝染病であるブルセラ症の犬たちを奪いに行ったではないか。
牛も豚も犬も同じ生命ではないのか。
どこが違うと云うのだ。
牛豚は産業動物であり、犬猫は愛玩動物であるからとでも云う心算であろうか?
ならば私はこういってやりたい。
『ブルセラ症のブリーダーの犬たちは産業動物であった』と。
種鶏や肉として出荷される子豚をひたすら産まされ続ける親たちと、愛玩動物として出荷される仔犬を産まされ続ける母犬との間に何の違いがあろう?
私は牛や豚や繁殖犬に対する非情な扱いを容認している心算はない。
どんな動物でも、動物福祉(アニマルウェルフェア)の精神に則ってまっとうな扱いをすべきと考える。
だから、扱いの酷い業者を糾弾することを否定はしない。
糾弾も、度が過ぎればどうかとは思うが。
───閑話休題。
要は、肉牛も乳牛も(今回は水牛も入っているらしい。水牛の用途って??)豚も、繁殖犬も同じ産業動物であり、ブルセラ、口蹄疫と同じように完治しない病であるにも拘らず、方や現場に押入ってまで患畜を入手し、もう片方はブログで触れることすらしない、この扱いの違いはどこから来ているのかと問い質したいのだ。
犬のためなら動くのに、牛豚には手を伸ばそうともしない。
それを差別というのだ。
動物を、種類が違うという、ただそれだけの理由で差別するのならば、それは最早『動物愛護団体』とはよばない。
動物たちの命を十把一絡げにして『大切』だの『尊い』だの声高に語る資格など無いと知れ。
自分の好きな種だけを自分勝手に玩ぶのは、単なる愛好家である。
しかも、現エンジェルズはブルセラ症の事件の折に患畜を連れてきていれば、その犬たちが感染を広げ、それが原因で命を落とす犬がいる可能性を意図的に無視しているようにしか思えない。
当時、2ちゃんねるをはじめ、ブログやサイト、掲示板などで危険性については取りざたされていたのだから、知らないわけはないだろう。
にも拘らず患畜の屠殺を強行した行政をエンジェルズは声高に否定した。
伝染病の危険性を軽んじる節がある、反社会的な団体と思わざるを得ない。
目の前の犬が今助かりさえすれば、将来さらに多くの犬の命が危険に晒されてもいいのだろうか。
彼らのやったことは、そういうことである。
犬の命を助けるためならば、犬の命すら惜しくない。
もう、本末が転倒している。
この件に関しては、「木を見て森を見ず」という言葉がしっくり来るような気がする。
立った一本の樹木を救うために、森を枯死させる愚を犯す必要がどこにあるというのだ。
まして、その救命対象は己の思い入れのある存在ですらないというのに。
動物愛護の観点からはエンジェルズの行動原理は不可解極まりないが、単なる愛好家としてすら失格の域に達しているように見受けられる。
続きは気が向いたら気力のあるときに書きますです。
さて、判決文を途中まで読みましたが、なかなか面白いところがありますね。
被告の主張する一文ですが
△ボランティア活動はそもそも無償の活動であって、その労務の対価の返還請求は失当である。
成る程成る程。
じゃ、福岡に出かけて頼んでもいないのに犬と人様のケージを分捕って、あまつ対価を請求するというあつかましいにも程がある行為に及んだあんたらは、自らボランティアではないと言い切ったよーなモンですな。
そうすると、有償行為をさも無償で頑張っているように見せかけて、金員を集めたわけですから、やっぱ詐欺行為じゃん?
違う?
ところで、裁判所書記官のK様。えーと、訂正箇所は原告側のメモだったようです。
正式な書類をあんな直し方しちゃダメでしょ。
普通の会社の書類なら・・・・・書き直すわな。
訂正箇所には最低でも訂正印が必要です。
それとも、原告側が手書き訂正を入れたのかしら?
だったら、その旨アナウンスがほしいなぁ。
っていうか、原告側の訂正だったら、掲示板辺りでのアナウンスをして、原本には手を加えなさそうだけど。
原告の会のBBSでアナウンスがありました。
書記官様、勘違いで申し訳ありませんでした。
あなたはもう忘れたかしら
痩せた犬を口実にして
ボラと行った広島の岡
「みんなで頑張ろう」って言ったのに
いつもあなたは引きこもり
熱い気持ちが芯まで冷えて
錆びた空き缶カラカラ鳴った
あなたは善意をお金で数え
「少ないね」って言ったのよ
若かったあの頃 犬を助けたかった
ただあなたの恫喝が怖かった
あなたはもう捨てたのかしら
千羽鶴が届いたときの
目には見えない善意の気持ち
「大事にしてね」と言ったのに
いつも夜中にショッピング
食料倉庫にネズミがわいて
善意の物資が虚しく消えた
あなたはテレビのカメラの前で
「ボラが盗った」と言ったのよ
若かったあの頃 犬を助けたかった
ただあなたの恫喝が怖かった