前述した通り、現在宮崎県において口蹄疫なる家畜法定伝染病が発生している。
4/24の朝時点で6例目まで出ており、消毒を行うポイントが拡大しつつある。
件の病が発生した畜舎の牛や豚は全て屠殺処分となる。
この伝染病は死亡率は低く、人への感染の可能性もほとんど無いとはいえ、伝播力が高いことと、根治の可能性がないことを鑑みるに、私は、この処置は極めて妥当であると考える。
しかし、この事態に際し、ワンライフ及び元アーク・エンジェルズ(現エンジェルズ)が動いた様子が全く感じられないことには、正直不快な思いを禁じえない。
彼らは、命の大切さを正義の御旗に押し立てて、同じ法定伝染病であるブルセラ症の犬たちを奪いに行ったではないか。
牛も豚も犬も同じ生命ではないのか。
どこが違うと云うのだ。
牛豚は産業動物であり、犬猫は愛玩動物であるからとでも云う心算であろうか?
ならば私はこういってやりたい。
『ブルセラ症のブリーダーの犬たちは産業動物であった』と。
種鶏や肉として出荷される子豚をひたすら産まされ続ける親たちと、愛玩動物として出荷される仔犬を産まされ続ける母犬との間に何の違いがあろう?
私は牛や豚や繁殖犬に対する非情な扱いを容認している心算はない。
どんな動物でも、動物福祉(アニマルウェルフェア)の精神に則ってまっとうな扱いをすべきと考える。
だから、扱いの酷い業者を糾弾することを否定はしない。
糾弾も、度が過ぎればどうかとは思うが。
───閑話休題。
要は、肉牛も乳牛も(今回は水牛も入っているらしい。水牛の用途って??)豚も、繁殖犬も同じ産業動物であり、ブルセラ、口蹄疫と同じように完治しない病であるにも拘らず、方や現場に押入ってまで患畜を入手し、もう片方はブログで触れることすらしない、この扱いの違いはどこから来ているのかと問い質したいのだ。
犬のためなら動くのに、牛豚には手を伸ばそうともしない。
それを差別というのだ。
動物を、種類が違うという、ただそれだけの理由で差別するのならば、それは最早『動物愛護団体』とはよばない。
動物たちの命を十把一絡げにして『大切』だの『尊い』だの声高に語る資格など無いと知れ。
自分の好きな種だけを自分勝手に玩ぶのは、単なる愛好家である。
しかも、現エンジェルズはブルセラ症の事件の折に患畜を連れてきていれば、その犬たちが感染を広げ、それが原因で命を落とす犬がいる可能性を意図的に無視しているようにしか思えない。
当時、2ちゃんねるをはじめ、ブログやサイト、掲示板などで危険性については取りざたされていたのだから、知らないわけはないだろう。
にも拘らず患畜の屠殺を強行した行政をエンジェルズは声高に否定した。
伝染病の危険性を軽んじる節がある、反社会的な団体と思わざるを得ない。
目の前の犬が今助かりさえすれば、将来さらに多くの犬の命が危険に晒されてもいいのだろうか。
彼らのやったことは、そういうことである。
犬の命を助けるためならば、犬の命すら惜しくない。
もう、本末が転倒している。
この件に関しては、「木を見て森を見ず」という言葉がしっくり来るような気がする。
立った一本の樹木を救うために、森を枯死させる愚を犯す必要がどこにあるというのだ。
まして、その救命対象は己の思い入れのある存在ですらないというのに。
動物愛護の観点からはエンジェルズの行動原理は不可解極まりないが、単なる愛好家としてすら失格の域に達しているように見受けられる。
続きは気が向いたら気力のあるときに書きますです。