4/7付け活動日記より
>ワンを養うために、働かなければなりませんものね。
>ワンを養うために、働かなければなりませんものね。
>ワンを養うために、働かなければなりませんものね。
いや、いや、いや、どの口がそれを言うのかと小一時間。
多くの動物愛護団体(自称)は命の尊さがさも平等であるかのように謳う。
しかし、全ての命は別の命を犠牲に成り立っている現状を、彼らは無視していないだろうか?
牛肉、豚肉、鶏肉、魚肉。
これらは当然相手の命を奪って得ることのできる糧だ。
では、肉を絶ち、牛乳と卵に置き換えるか?
知っているだろうか?
牛乳は当然牛の母乳であるが、これを得るために母牛は不自然な方法で繰り返し妊娠させられる。
そして生まれた子供は、メスであれば大抵母牛と同じ運命をたどり、オスであれば乳牛としての価値は無いので、わずかの後殺され、肉にされる。
そして年をとり乳の出が悪くなれば、用済みとして肉にされる。
牛乳は牛を数多犠牲にして得られる糧なのだ。
では卵は?
鶏は採卵に特化した種と食肉に特化した種がいる(その中間もいるけど)。
採卵用の鶏の場合、オスは無用である。肥育しようとしても効率がよくないので、鑑別する端からサクサク殺している。
生まれて数時間経つか経たぬかであっという間にその生涯に幕を下ろす。
雌鳥はそのまま育てられるが、ストレスで傷害行為に及ばぬよう、くちばしの先端を焼ききられる。
そのストレスで死んでしまう鳥もいるくらいである。
その後は、自由に駆け回ることもままならぬ檻で、ただ餌を喰らい卵を産み続けるだけの生活となり、産卵率が低下すれば肉用として出荷される。
卵も、鶏の命を犠牲にしているのだ。
ではベジタリアンになればいいのだろうか?
とりあえず動物は殺さないですむように見える、植物を命としてカウントしなければ。
だが、病院にかかれば、動物たちの命を踏みにじって作られた薬に囲まれている。
インフルエンザワクチンは、雛になるべくして生まれた卵から作られている。
命を大事にするのは結構だ。
だけれど、生きていく以上命を奪い続けるカルマは背負わなければならない。
そのために、命に線引きをする必要はある。
割り切る必要がある。
私は、麻根木さんやチビ助を保護した。
でも、彼らに食べさせるために鳥や魚が日々命を奪われていっている。
鳥や魚も何某かの命を食ってその命をその日までつないでいっている。
何かを護ろうとするなら、何かを切り捨てなければならない。
真理は残酷だが正しい・・・・・・すみません、鋼錬の読みすぎです。
今月号はライオンのおっちゃんが(一瞬)出ていて嬉しかったです。
閑話休題。
私は、鯨にシンパシーを感じる人間に鯨を食ってみろというつもりはない。
私だって、猫肉や犬肉を出されたらドン引きしてまず食えない。
だが、逆に犬猫の肉を食う食文化の国に文句を言うつもりはない。
ベジタリアンを偽善者とも思わない。肉を食う人を残酷とも思わない。
私自身は肌に合わないので着ないが、毛皮も実は悪いと思わない。
寧ろ、地球には優しいくらいだと思う。
というか、毛皮反対の人たちにとって、生きたまま熱湯に放り込まれる蚕はかわいそうじゃないんだろうか?
ここでも命の線引きが行われている。
神と呼ばれるような存在から見れば、確かに命は平等なのだろう。
だが、私たちは人間だ。
一個の人間という小さな視点からでしかこの世界を眺めることはできないのに、神になったかのように自らが引いた命の境界線を絶対の基準であるかのように声高に他人に押し付ける、そんなことは許されるべきではないと思う。
鯨を食べるべきではないと思うなら、それを理論的に説明し捕鯨国を論破してやればいい。
それもせずに、同じ命であるはずの人間を傷つけ、仲間も危険に晒し、大義名分に掲げている鯨の住む海まで毒で汚染するような連中が、動物愛護など片腹痛い。
原虫や単細胞生物にまでシンパシーを感じていれば人間は生きていけないだろう。
だけれど彼らだって生きている。
それを生きるためにせっせと線引きしているのだ。
動物は食べたくないけれど、植物は仕方がない。
牛豚鶏は食べるけれど鯨は食べたくない。
犬は、猫は、サルは、熊は、猪は、カンガルーは、ウサギは、哺乳類は、魚類は。
それぞれがそれぞれの心に従って線を引く。
動物愛護団体だって、動物に線を引かなければならない。
多くは愛玩用の家畜かどうかで線を引いているように見える。
それはそれでかまわないと思う。
ただし、それを自覚すべきである。
生きるために、自分たちの価値観で線を引いて切り捨てた命があることを。
だけれど、天使はまるで自分らが線を引いていないかのように振舞う。
本当はこんなにはっきりと切り捨てているのに。
やむをえない線引きどころか、線の内側にいるもののほとんどが換金性の高い犬ではないか。
誰も見向きもしないような猫や雑種の犬などほぼいないではないか。
確かにペットブームで純粋種は増えた。
だが、雑種の捨て犬だってまだ相当数いる。
なのに、せっせとブリーダーのところに押しかけては純粋種を入手している。
そうしてお金を無心するのだ。しかも見ず知らずの人間に。
レスキューするのにお金がかかる?
ふざけるのもいい加減にしろ。
お金がかかるのは当然だ。
生きているんだから、飯も食えば下の世話も必要だ。
それを自分が働いて養うのは当然だ。
多くの人間はそうやって自分を削って犬猫たちの行き先を探している。
他人の金で養うことの何が動物愛護か?
愛護しているのは、少なくとも金をかき集めている人間ではない。
本当に犬を愛しているのならば、「餌がピンチです」などとほざく前に夫婦(風味)のどちらかでも働きに出るだろう。
暢気に、1/6が過ぎてしまった、世間一般では100円でだって売れないようなカレンダーを宣伝している場合ではないだろう。
というか、在庫を捌けないほど作った見通しの甘さはもはや万死に値する。
自分の財産で自費出版的なものなら問題はない。
だが、支援金で作ったのだろう?
つまり、あんたらが無駄にカレンダーを自己満足で作った所為で餌代が紙くずになったのだよ。
あんたらは、原告の会の活動で信用が毀損されたかのように言う。
だがね、原告の会が立つ前の段階で十分にあんたらの信用は地に落ちていた。
あんたらの信用を地に落としたのは他でもない、あんたら自身だよ。
あんたらの行動を一つ一つ見てそれぞれが判断したんだ。
マスコミにただ流された人間もいるだろう。
だけどね、この情報化社会に流されないようにメディアリテラシーを心がけながら判断した人間は多いはず。
もしも、万に一ついや、可能性としては月にウサギがすんでいるのと同じくらいであろうが、あんたらが1円も横領していなかったとしても、まっとうな人間であれば働きもせずに他人に金を無心することを恥じ、支援を求めるとしても土下座するくらいの勢いで頭を下げるだろう。
ところで、どうでもいいが今マクロスFの主題歌にハマっている。
寂の部分がいい・・・
「生き残りたい、生き残りたい、まだ生きてたくなる
星座の導きで今見つめ合った
生き残りたい、途方にくれて、キラリ枯れてゆく
本気の体見せつけるまで、私眠らない
生き残りたい、まだ生きてたい、君を愛してる
本気の心見せつけるまで、私眠らない」
pikoたんたちもちゃんと本気で生きてみたら?